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優秀であればあるほど、他人の欠点は見つけやすく、考察が足りていない点について批判・否定しがちになります。
しかし、後身を育てるという目的を持つ場合や、何か仕事(典型的な例では提案書作成)を担当してもらって本人の意思が多少なりとも入っている場合、批判は必ずしも正解ではないと思います。
そして、批判や否定はその内容が真っ当であればあるほど、それを受けた本人の精神を著しく傷つけ、芽を摘むことになりがちであることを認識しなくてはなりません。(打たれて強くなるような強靭な精神力と魂を持つ人でも、打たれ続けていれば疲弊します)

そもそも、批判すること自体は、程度の差はあれども小学生でもできます。
そこに解決のための糸口であったり、本人なりの考察があって初めて言っていることに価値が生まれます。僕は、批判して言いたいことを言うよりも、考察が及んでいないことに対し指摘して気づかせるとか、あくまでアドバイスに徹して考えさせるというように、自分自身がストレスをかぶり、相手に気持ちよくなってもらうようにできる人間力を持った人物を高く評価します。
また、立場が強い人間が言うことは、本人は示唆のつもりで言っていても、受け取る側は鵜呑みにしたり、命令のように捉えがちであることも意識しなければなりません。
(僕自身、とてもそんな教育者にはなれていません。面倒になって自分でやってしまったりします)

提案書作りのときが良い例ですが、経験が浅い人に対しては説得というか論で屈服したり、言いたいことを言って圧倒するのではなくて、あくまで「本人たちの提案」になるように計算しないといけません。
こういう経験が浅い人に多いケースとして、色々な人に言われた色んなことを、自分の意思にする取捨選択や結晶化の力が乏しかったり、生真面目で意欲が高ければ高いほど、それを真剣かつ直接的に受け止める傾向があります。
そしてその結果、出来上がってきたものが(デザインでも提案でも)ブレまくっていることはよくあります。

受け取る側の能力を考えて指導していくという、大変高いスキルが要求されますが、あまりに多くのことを批判・指摘されると、人はどうしても精神的に疲弊し、自分らしさや気持ちが出せなくなって枠というか形式に囚われます。
時には(特に時間が限られている場合など)批判も必要ですが、中長期的に人材を育てようとするとき、批判・否定よりもずっと有効な手段があり、立場が強い人間が言うべきことがあるはずです。

ディレクターは案件の要ですから、他のスタッフに何かを指摘することも多いと思います。
また、立場が上になればなるだけ、その役割を担わなくてはならなくなります。
そのとき、批判や否定するだけでは、それはリーダーシップとは言わず、言ってしまえば自慰行為に等しいことを意識して欲しいと思います。

ディレクター論:指揮官

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ディレクターの本来の意味であり本質的な仕事である現場の指揮。コンセントではこの領域だけを担当する場合は進行管理と言います。

そこに焦点を絞った話としたとき、メンバーの信頼を得る原理はごく単純です。
最もよく働く人であればいいのです。

ここで言う「よく」とは、現場の最前線に立ち、的確な判断力を持ってプロジェクトを進行していく以外に余計な感情を持ち合わせないことが不可欠です。

誰かに指揮される受身の立場では、指揮する人物がどの程度の質を持っているか、スキル云々ではなく本能的に察知します。
政治的配慮や余分な気遣いは本来プロの集団である制作チームには不要で、ただプロジェクトの遂行のためにベストな方法を採り続け、その指揮に従えば間違いはないという信仰をメンバーに持ってもらえればいいのです。

当然、現状把握がしっかりできず無茶な要求ばかりしたり、自らは何もしないで命令だけするような指揮官には望めません。
ただ、その信仰が無い限り、指揮官がいかに媚を売ったり、言葉巧みに話をしたりしても、メンバーのモチベーションは決して上がることは無く、むしろ軽侮を深めていくだけです。

小さなプロジェクトではディレクターが進行管理を兼務することが多いですが、大きなプロジェクトになると別のスタッフをアサインします。
そのときの役割分担と責任を明確にし、フォローやコミュニケーションはプロジェクト全体を監督するディレクターが担うようにすると、プロジェクトは上手く回るようになります。

プロジェクトの責任者としてメンバーの頭に立つ人間は、なるべく茫洋な風格である方が良く、進んでそのように振舞うべきだと考えています。
つまり、「何があっても動じない」とか、「拍子抜けするくらいあっけらかんとしている」といった人物像です。

これにはまず、部下となるメンバーに大いなる安心感を与えるという効果、さらには知恵があり、論も立つ人物たちが激論を交わすとき、シオを見てそれらをまとめるのはこのタイプにしかできない、ということがあります。
(この場合、同じような論客では余計に議論が紛糾するだけでおそらく務まりません)

当然、いわゆる「でくのぼう」ではダメで、様々な経験を持ち、それまでに死ぬほど頭を使ってきた人である必要がありますが、最大の資格は、最も有能な部下を抜擢してそれに仕事を自由にやらせ、最後の責任だけは自分が取る、ということができることが挙げられます。

その覚悟が客観的な判断を可能にしますし(当事者すぎると熱くなって冷静な判断ができない恐れがあります)、「やるだけの準備を整えた以上、ばたばたしても仕方ない」という心境に達することができるようになります。

プロジェクトがうまくいくように作戦を立てたり、現場を指揮するのは他のメンバーの仕事になりますが、それを達成するために必要な準備(予算・リソース・スケジュールなど)を整えるのはこの責任者であり、実はその準備がうまくいくかどうかでプロジェクトの成否のほとんどは決まります。

準備を整えるためにあらゆる苦労をするのですが、それがしっかりできた後に行われる作業というのは、単にその準備の結果にしか過ぎないと言ってもいいと思います。

また、この責任者になる場合は、自分がこれまで経験してきたことには善悪があり、自らの経験に沿って全ての物事を独善的に判断すると大変な失敗のリスクがあること、戦略には素人・玄人の区別はなく、例え経験が少ない者の立案でも採用を恐れてはいけないことを認識する必要があります。

前回の続き。

プロジェクトの頭脳となる人が立案するパターン(例えば今回はペルソナから設計していきましょうとか)により案件は進行していきますが、当然このパターンはプロジェクトごとにおいて異なります。

このパターンをどれくらい持っているかが作戦家としての能力になってきますが、パターンを自らのものとして会得するためには、あらゆる書籍や考察を見聞きし研究し、そこから原理を抽出しなければなりません。
誰かから教えてもらうだけでは決して自分のものにはならないのです。

ただ見たり聞いたりしただけのことを、そのままプロジェクトに持ち込んだり、さらには杓子定規にそのパターンに固執するとき、遠からずそのプロジェクト(ひいては組織)は破綻します。

昨日までのパターンを模倣するだけでは明日の時代の流れに飲み込まれてしまうように、あるパターンが通用しなくなったときに旧い体質のものが滅ぶことは、経済でも社会でも軍事でも、古今の歴史が証明しています。
また、「生兵法は怪我の元」と言いますが、「パターンを多く学んだ」というだけで「専門家」となってしまう現状も多く見られます。

この「専門家」と言っている人の多くはその保守的な専門知識をもって「それはできません」「それは違います」ということを言いますし、昨日の知識の追随者であることを認識せずに自分の思考範囲の範疇でしか判断ができません。つまり、明日の専門家ではありません。

また、こういう専門家が作戦家としてプロジェクトに参加する場合、そこで立案される作戦・戦略は往々にして説明的であり歪曲されているものが多いです。
作戦や戦略というのは1行や2行の簡潔な文章で足りるもので、説明が必要なものはそれだけでまともなものではありません。そんなものは末端に行けば行くほど伝わらないし、まして最終的なエンドユーザーに届く訳がないのです。

現在のWEB制作は分業化が進んでいて、この「専門家」と言っている人が多くなっていますが、かえってその名前の枠に囚われてしまっているのではないでしょうか。
「クリエイティブ」という言葉はデザイナーやクリエイターのみが担うのではなく、むしろこの専門家、作戦家、それを包含するディレクターにこそ求められるものであると思います。

ディレクター論:参謀

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本来はディレクターは指揮と判断に専念して、プロジェクトにおける具体的な方策を練ったり、情報(コンテンツ)をまとめてユーザーとの最適なコミュニケーションを設計していくのはIAとかUXD(User Experience Designer)が担うのがベストだと考えています。
しかし現状、これらのこともディレクターの業務範囲となることが多いと思います。
(やれないとディレクターと言えなかったり、むしろやりたいくらいではありますが)

そしてこれらの業務は「参謀」的な立ち回りであると言えます。プロジェクトにおける作戦を立て、設計をします。
さて、その参謀。第一線の状況に暗い参謀は、役に立ちません。
常に第一線(現場)の状況把握に努めるべきで、机上の空論で物事を決めて人を動かすのは最も避けなければなりません。

優秀な参謀というのは、第一線の状況を的確に把握し、心と頭を同時に動かして迅速にプランを立てていきます。頭だけではダメで、心が必要です。
僕が見てきた中で優秀な作戦家はみな、もちろん頭の回転が速いですが、同じくらい人を動かすだけの心を持っています。

社内に対しても、クライアントに対しても、「いい仕事」をする人はプロジェクトにおけるほんのわずかな機微をとらえて、流れを引き寄せます。
それはどうも、知恵とか理論以上に、自分の心から発する気持ちとか、思い入れとか、心意気が大きいのではないかと感じています。

参謀というプロジェクトの頭脳になる役割の場合でも、やっぱり心が大事だよね、という話でした。

Web Creators 4月号

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そろそろ店頭でも見かけなくなってきたのでようやくポストしておきます。

先日MdNから取材を受けまして、Web Creators4月号にインタビューが載ってます。
喋ったことのいいとこ取りで編集していただいて、誌面に掲載されていなかったところとかで補足を少々。

ちなみに写真はどこかのバーみたいですが、自社です。

書いてある内容にカネボウ化粧品が多いように、この案件は4年くらいやっていて、紹介してもらっているLUNASOLは3年くらい。いいブランドだと、担当者ながらに思います。

「現実だけの政治家は二流以下。」という言葉があります。

政治家は理想を持たないといけません。その理想に向かって周りを巻き込み、ムードを形成していく行動力と手腕が求められます。

ディレクターにも同じことが言えます。
現実だけを見ているだけではディレクターとは言えず、やはり自分の信念や理想を持ち、明確な意思を表明して物事を進めていく必要があります。

ディレクターはその職掌上、サイト制作のあらゆる領域に対応できるオールラウンダーでなくてはなりませんが、デザインやシステムなどの専門領域については、完全である必要はありません。

何ができて何ができないか、それはどれくらいの工数が必要なのかということを分かっていれば、分業化が進んでいる現在の制作現場においては、自分以外の力を効率的に引き出せるはずです。

また、最も大切なものとして「今やるべきか」という判断を下す必要があります。プロジェクト全体、ひいてはクライアント、さらにはエンドユーザーにとっての優先度は、ディレクターが責任をもって的確に判断します。
その判断のためには常に細部と全体を見る両方の視点が重要で、物事の解決にあたっては、一つのことに縛られずに柔軟な発想を持つ必要があります。

つまり帰納的側面と演繹的側面、両方を兼ね備えることが求められ、そしてその判断は、誰にでも分かる簡潔明快なものでなくてはなりません。
経過としてはあらゆる可能性やポイントを踏まえ、総合的な結論に達するまで極度に複雑化した思考を経ますが、簡単な結果を出します。

ディレクターはオールラウンダーでなくてはなりませんが、今回はプロデューサー/マネージャーとしての役割と、ディレクターとしての役割の違いについて書きます。

この両者の役割において、立ち振る舞い方が違うということを認識していないと、個人としていくら優秀でもチームはうまく機能しなくなります。

例えば今までサブで入っていた人がメインのディレクションを行い、自分はプロデューサーの立場になるとします。
きっと色々な指摘ポイントが出てくると思いますが、ついついディレクター感覚で指示を出すと現場は混乱します。
指示命令が複数系統から来ることほど、現場が困ることはありません。

ディレクター論 -組織

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会社という大きな枠組みもそうですが、プロジェクトチーム一つとってみても、組織であることに違いはありません。
そして組織を最大限に効率化したものは軍隊で、ある目的を達成するために機能するということでは共通点が非常に多いです。

組織の一員となった以上、「私」は無い、というのが自分の持論であります。
その組織において何をすべきで何ができるか、そこに「私」が入ると組織としての機能が乱れてしまいます。
軍隊において「オレはこうしたいんだー」と勝手な動きをされては、大変なことになります。

ディレクターはチームをまとめて方向性を示すことを担う役割上、ほかのスタッフより深くこのことを考えるべきで、自分はもちろん、自分以外の人の役割についてもコントロールしなくてはなりません。
適材適所に人員を配置し、最大のパフォーマンスを発揮するように組織を設計する義務があります。

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